「誕生日に祝ってほしい」「誕生日が近い」など誕生日アピールをする人が居ますよね。恋人や家族などはアリな気がしますが、他人にまで誕生日アピールしてしまう人のあの感じがもう理解に苦しみます。

誕生日アピールする派はスッとこのブログを閉じてください。誕生日に祝ってほしい、誕生日アピールに関する僕の見解をこの記事に綴っていきます。

起
誕生日アピールはウザいと思う人もいる

「誕生日アピールはウザいと思う人もいるよ」とオブラートに包んだ見出しにしましたが、僕はウザいと思っている一人です(笑)

「もうすぐ〇〇歳になる」「〇〇歳もあと少しか」「もうすぐ誕生日だけど誰か祝ってくれるかな」みたいな。もう、聞かされる方どんな顔してれば良いんだよと。

謎に誕生日プレゼントという文化もありますが、プレゼントを期待している子供ならまだ可愛げがありますが、もういい歳の大人で誕生日アピールているのを見ると色々思うことがあります。

誕生日アピールからの考察
  • 自意識過剰(自分が社会で重要な存在)
  • ずっと祝われてきたから
  • こんな時しか構ってもらえない
  • 何かしら口実に構ってほしい
  • ちやほやされるのが好き
  • 誕生日なんだから祝われて当然

というところではないだろうか。誕生日なんてものは誰でも1年に1回くるもので、大人なったらどうでも良くなるか、むしろ控えめになりますね。

謎に「誕生日だから今日は王様」的なスタンスの人も居てまじで謎です。かく言う僕の誕生日には時々母さんが好きなもの作ってくれるのが幸せだったくらいで、学生時代〜社会人になって数年までは自分の誕生日は特別なことはありませんでした。

しかし社会人になって毎年ではないが、何度か誕生日を祝われる経験をして感じた「悪くない・・・」という気持ち。恥ずかしいと思いつつも、自分がこの世に生まれてきたことを他人に祝ってくれるというのが、何とも言えない嬉しい感情になるのはわからないでもない。

承
誕生日に何か人から祝われる事を成し遂げたのか

どうして「誕生日に祝福されて当然」と思う人、そしてそれを周囲にアピールする人が出現するようになったのだろうと考えていると、正直祝われるだけのことをしたのかと言いたくなります。

世界記録を出して祝勝会などはわかるのですが、まだはっきりとした意識もなく生まれただけなのに毎年祝ってもらおうとするのはどうしたものでしょう。何をしたのでしょうか。何を残したのでしょうか。

どちらかと言うと、頑張ったのは両親です。特にお母さんです。出産という家族としての一大事であり、後の世代に生命を残しています。

誕生日を自分が生まれたことを祝ってもらうということで本当に良いのでしょうか。両親からすれば「生まれてきてくれて、ありがとう」と毎年思うのかもしれませんが、僕は自分の誕生日を両親に感謝する日にすべきではないかと思っています。

お父さん・お母さんが家庭内の「生まれてきてくれて、ありがとう」と毎年プレゼントやケーキをもらって祝ってもらえるノリをいい歳の大人が他人に求めては如何かと思う。

いい大人であれば、自分の誕生日に誰かから物をねだったり、祝ってもらおうとするのではなく、自分が無事に今年も誕生日を迎えられたことへの感謝、自分を生んで育ててくれた両親への感謝などのそうした謙遜した気持ちになるものだと思う。

自分だけでこれまでの人生歩むことができたわけではないと思います。必ず誰かしらの力を借りて今があります。「自分の誕生日なんだから祝ってほしい」という気持ちは傲慢ではないかと思います。

もちろん周囲から祝いたいと言ってもらえるならそれは祝ってもらえれば良いと思います。忖度や利害関係なく、周囲が率先して心から祝ってもらえるということは、とても素晴らしいことです。それは人望や人柄の賜物だと思います。

転
海外ではむしろ周囲に振る舞う

海外だとむしろ誕生日の人がパーティを開いて周囲の人を招待してケーキなどを振る舞うのですよね。僕は昔カルチャーショックを受けたのですが、ハーフの子が自分の誕生日にお菓子を配っていました。当時の僕は「どうして自分の誕生日なのにプレゼントしてんの?」と思っていましたが、完全に僕の方が子供でした。

他にも数年前に海外で特に何を言うわけでもないですが、「一緒に食事しよう」と声を掛けて貰ってその方の自宅へ訪問して料理を振る舞ってもらったことがあります。後でわかったのですが、その方の誕生日だったようなのですよね。普通にご馳走になってしまった・・・。ということもあり、こうした経験があるので余計に、誕生日アピールをする人をみると正直「卑しいな」と思ってしまいます。

「誕生日をアピールしておくとワンチャン何か貰えるかも」「誕生日だから祝ってくれよ」「誕生日だからワガママきいてくれよ」的な風に思ってしまいます。

別に「明日から〇〇歳か」なんてことも自分発信で言う必要ないじゃないですか。「何歳ですか?」と聞かれて年齢だけ答えるだけで済むことですし。言うこと自体は個人の自由ですが。

既に述べたとおり、誕生日の当人が誕生日に何をしたかというわけもなく、生んでくれた人がいてくれて、そして周囲の助けによって誕生日を迎えられたことに感謝する方が納得すると思います。「誕生日だぞ、エッヘン!」は溺愛してくれる両親にだけしましょう。

誕生日をむかえる人が誕生日会を開いてもらったり、プレゼントを貰ったりする日本の風習よりも、海外の誕生日に自分が他にケーキやパーティを振る舞う方がよほど理にかなっているように思えます。

結
誕生日アピールするほうが損するかも

結論は誕生日アピールはしない方が良いと思います。「誕生日アピールしないと誰も祝ってくれないじゃないか」という意見は受け付けません。そもそも自分が生まれたことを他人から祝ってもらおうという魂胆が卑しいです。

他人の時間を奪い、もしくはプレゼントまで貰おうというのはあまりにも身勝手です。自分が他人から祝ってもらうだけの実績があり人格者と自負するのであれば、誕生日アピールなんてすることもなく誰かしらから自発的に祝われるはずです。

自分で誕生日をアピールする時点で、そうしないといけないレベルということです。他人からそれほどまでに重要視されていないということを自分で認めている行動です。自分に興味がない人に「自分の誕生日だから祝え」と要求しているように見受けられても仕方がありません。

そういった意味で、誕生日アピールをする人に不快な感情を持つ人もいること、他人に自分の誕生日アピールをしていると卑しい人と思われる可能性があること、どんどん人が離れていくようになります。

「誕生日アピールすれば、もしかしたらプレゼントを貰えるかもしれない」なんて下心は見透かされます。誕生日アピールして他人からプレゼントを貰えればラッキーという気持ちかもしれませんが、誕生日アピールという行動は行った時点で信頼を落とす要因となり損をする分が多いのではないでしょうか。

皮肉なことに誕生日アピールしない人には自発的に祝ってくれる人が集まり、誕生日アピールをする人には人は離れていきます。仮に誕生日アピールで人が集まっても嫌々なので「来年は行かない」「来年は気づかないふりしよう」と思われてしまいますね。

周囲の人々に幸福をもたらすような実績や人格のある人は、周囲が勝手に祝福をしてくれます。誕生日アピールは図々しいです。みんな見通しています。誕生日アピールをしなければいけない時点で察しましょう。それよりも誕生日いう節目に自分のことよりも家族や周囲の人々に感謝しましょう。それでは|彡サッ

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