テクノロジーの発展で便利になった一方でそれについていけない人が不便になるという一面が生まれています。僕の立場を明確にしたいと思いますが、「勉強しない方が悪い」ということです。
要するに勉強せず、新しいものについていけずに置いていかれても、それは自業自得ということです。冷たいようですが、そうならないように最低限やはり勉強が必要だと思うのです。この差が年々大きくなってきており、危機感を感じる側面もあるので、記事にしてみました。
「わからない」「教えて」とは言っていられなくなる世界に突入していきます。取り残されれて不便に生きるか、食らいついて行くか、それとも先取りして便利に過ごすか。それはあなた次第です。
初歩的過ぎる部分すら理解していない人がいる
先日僕の兄に「グーグルアカウントってどうやって取るん?」「Gmailって何よ?」という衝撃的な質問が来ました。
それに僕は「え、その質問はやばいやろ」「検索して調べたら?」と伝えました。兄から「人には得意不得意あるのだから、そんな言い方はないだろ」と怒られました。
確かにそういう人がいるのかもしれませんが、僕からしたらやはりあり得ないような質問だったのです。グーグルアカウントがないとAndroidスマホも使えないし、Gmailで各サービスの会員登録などもできない。
ネット通販もろくに使えず、僕に手配させていたことに納得をしつつ、そして「この人はこれからの世界で大丈夫だろうか」とちょっと心配になりました。
得意不得意というレベルではなく、インフラレベルで多くの人が活用しているサービスを利用しておらず、手順通りに進めればできることをよく読まずにやろうとしない。自分で調べるわけでもなく、人に聞こうとするアナログな思考に本気で心配になりました。
グーグルアカウントを持っている人もいれば持っていない人も居て、特にiPhoneを使っていたら確かに使わないのかもしれません。それよりも「自分は知らなくても誰かにやってもらえば良いや」という危機感の無さがとても危うく感じました。
専門的な部分であれば、確かに「得意不得意」「人それぞれ知識の範囲が違う」と言えて、任せても良いと思えますが、Gmailなどは大衆向けに中学生や小学生でもアカウントを持って、スマホのアプリなど使っているわけで、実際通販も自分でできず、やりたいことができずに支障が出ているのだからどこかで自分で手を打つべきなのではないかと思います。
自分で学ばず他人に頼っても限界はいつか来る
「パソコンがフリーズしたから助けてくれ」「プリンターの使い方がわからない」「Wi-Fiのつなぎ方がわからない」「新しいスマホ買ったけど設定がわからない」こんな理由で他人に助けを求める人が多すぎです。
Wi-Fiに至ってはパスワードが書いてあるのに自分で入力しない筋金入りの人がいます。そういう人は自分で一回学べばできることなのに、他のできる人に頼もうとします。それも毎回毎回。
急に話を変えますが、『ねんきんネット』使っていますか。便利ですよね。ネット上で納付状況や将来貰えるであろう年金を見ることができる便利なサービスです。ぶっちゃけ用紙で見るよりもネットのメニューで見る方が僕は見やすうてとても助かっています。
でもパソコンやスマホで登録画面やアクセスキーの入力すらできない人が大勢いるのではないでしょうか。せっかく便利なサービスがあってもその随分前の段階でつまずいてサービスを利用できない。誰かの補助があってようやくできるが、ちょっとしたことでまたすぐつまずくと使わなくなる。
そうした状態というのはとても危険で、自分ひとりで解決できないということは、他人に依存しなければならず、他人に秘密を握られたり、下手をすると悪用をされてしまう可能性もあります。
「自分はあんまりこういうの詳しくないからやってくれ!」というのは簡単ですが、例えば、プライバシーが筒抜けになってしまったり金銭的な被害も出てくるでしょう。
「自分は何もわからない。だからやってくれ!」と言っている相手に対して善良な人が対応すれば良いですが、チョロまかしても大丈夫と思われるリスクもあります。
未だにケータイを三大キャリアで登録して、Appleアカウントの設定やPayPayなどのキャッシュレスの使い方のレクチャーをしてもらいに行っている人がいますが、そうしたわからないけど人にやってもらっているうちにそれ以上のお金を通信サービス料で支払っています。
誰かが助けてくれるうちは良いですが、もはや取り返しのつかないレベルまで取り残されてしまった場合、誰がいつまでも手取り足取り手伝ってくれるでしょう。それこそ高額なサービス料を支払わないとそれまでに全く勉強してこなかった代償は払うことはできません。結局そのやり方だと限界が来るのです。
住んでいる世界が分断される
特にテクノロジーが関わる分野に関して格差が広がっていくのは間違いないでしょう。古いものに固執する人、新しいものに抵抗を感じる人、新しいことを始めようとしない人、そうした人は発展がなく、今現在もこれからもテクノロジーを乗りこなす人に加速度的に差をつけられていくでしょう。
無知のまま・わからないままにしている人と、新しいものを理解して次々に乗りこなして行く人の見ている景色・世界は分断されていきます。
わからないまま自分の古い世界にいる人、これまでになかった新しい世界にいる人、と分かれていき物事の捉え方、価値観が別物になっていくのではないかと考えます。話についていけない・話が合わないということになっていきます。
どちらかと言うと新しいテクノロジーを勉強・利用していないと不利になりますよね。効率面やインフラは便利な新しいものにアップデートしていくわけなので、ちらを使いこなす・乗りこなす方が時代の波に乗っていけますよね。
ひとつ前のテクノロジーの応用やそれを下地にして新しいサービスが出てきて、それが頻繁に次から次へと出てきます。そのうち初歩的な質問は野暮になり排除され、わかっている人同士で話が先に進められていく時代が来るでしょう。
「ところで、それはどうやったら使えるの?」と言ったところでスルーされて次のステップに進んでいきます。「ググれカス」すら言ってもらえない。その時間すら惜しまれて先に進まれていきます。
確かに若い世代の人に比べたら飲み込みに時間が掛かるかもしれません。若い人が直感的に簡単に使っているところをみると自分はイチか使い方を勉強するのは気が引けるかもしれません。しかし、そこで諦めてしまったら思考する負担は減りますが文明についていけない不便さがずっと続くことになります。
【使わざるを得ない環境】に身を置き、【当たり前に使う】ことで人は自然と慣れていきます。人間は環境に順応する能力があるので、使わざるを得ない環境・使って当たり前の環境に身を投じるというのが解決方法のひとつです。
テクノロジーの進化は格差を生む
テクノロジーを勉強しているか、そうでないかで今後の世界でより効率的かつ快適に生活ができるか、誰か知っている人に聞きまわらないと物事が進まない不便な生活になるか格差を生む話をしてきました。
テクノロジーが加速度的に進展しているということは世の中も加速度的に発展しているということです。その加速度的発展の傾向は近年が過去最大であり、今後もその発展は更に加速していくことでしょう。つまりもっと発展が速く、もっと難しくなっていくということです。
その一方でまるでテクノロジーの進歩や世の中の発展についていけない人はどうなるかというと、“電車の駅内で老人が駅員さんに行き先ときっぷの買い方と乗り換えを教わっている光景”と同じ現象になります。「駅員さんに聞かなくてもアプリを見れば良いのに」「きっぷじゃなくてSuica使えば良いのに」といくつもの“遅れ”重なっています。
でもその老人にとってはアプリどころかスマホの使い方わからない、Suicaの存在も知らない、切符販売機の使い方もわからないのです。でも世の中は便利でコストが掛からない方法を採用し、何個も前の段階でつまずいている人を置き去りにしていきます。そうした人たちからすると不便でしかないですよね。
そうした人々の救済もテクノロジーが助けてくれるでしょうが、先端を行く深い知識にはアクセス出来なくなります。簡略化され薄い情報だけがいわゆる情報弱者・勉強をしない人に伝わるからです。表面上なんとか追いついているように見えますが、もうその時には何周も周回遅れです。
生きる世界を分断させるレベルでの格差をテクノロジーは生んでいきます。テクノロジーを最前線で追っていくのか、ちょっと遅れて追っていくのか、みんなが使い始めて追っていくのか、最低限このあたりでテクノロジーの情報を追いましょう。使わなくても・利用しなくても、どういうものなのか把握はしましょう。
どれだけ現金を貯め込んでも、このテクノロジーの進化についていかなければ、今後の世の中は不便に生きることになります。経済的な格差だけでなく、テクノロジーに関わる知識の格差にも注意していくことが必要です。注意してくださいね。それではっ|彡サッ