震災の時にも有名人が寄付をして取り上げられますが、その後寄付をした有名人から「偽善と言われた」「売名と言われた」という意見がありました。

『寄付』という行動は、無償で相手を助ける為に行われ、間違いなく善い行いにも関わらず。一部の心無い人間の言葉で、寄付したことを後悔、寄付したことを損、寄付したのに不快な思いをすることになり、以後寄付する行為を制限してしまいます。

どうしてそんなことが起こるのか、疑問に思う方も多いのではないでしょうか。私も疑問に思いましたので、原因を考えてみました。

 

起
寄付を偽善という一部の日本人の心理

有名人の寄付に関して、「偽善」「売名」「匿名でやれ」などとんでもない批判を行う人がいます。中には「俺に寄付しろ」という人までいます。どうしてこんな足を引っ張るようなことをするのか理解に苦しみますが、そのような心理状況なのか考えてみます。

寄付を偽善と批判する人間の心理
  • 自分に直接的に寄付されないことの嫉妬
  • 自分以外の人が得をしていることへの嫉妬
  • 自分ができない寄付をやってのけている人への嫉妬
  • 寄付して名前の挙がった人を批判することで、何者でもない自分を誤魔化したい
  • 超利己的で寄付する人のことが理解できない
  • 日本的な慎ましさをはき違えている

上記が考えられると思います。

 寄付をした人からすれば、なかなかできない善い行いをするのに批判され悲しい気持ちになり損をします。寄付する人も見返りはなくとも損をする筋合いはありません。

寄付した人は見返りなんて求めていないと思います。公表することで少しくらい褒めて、名声が高まるくらいはあっても良いのではないでしょうか。

元々実名で寄付を公表している人は、自己の名声のためではないと思います。著名な方が寄付することで多くの人々に関心を持ってもらうことにも繋がりますし、寄付の連鎖が繋がる可能性があります。

それを批判や嫉妬でダメージを与えるような行為はせっかくの寄付の活動の妨害行為です。寄付した人だけでなく今後寄付をする人が現れない世の中になってしまいます。

 

承
寄付する人は全面的に称賛されるべき

寄付の話になるとよく持ち出されるのが、ノブレス・オブリージュ(高貴さは義務を強制する)という言葉です。財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うという意味です。

名声を高める一方で、多くの人から注目されることにもなり、期待やプレッシャーがのしかかります。期待を裏切り続けると敵を作り、いつかは足を引っ張られて転落します。だから海外セレブは寄付など精力的に行います。

海外では寄付することで、受け取る相手が助かる以外にも寄付した側も名声を更に高め、味方を作り、自身の気持ちも晴れるのです。

それが日本の場合は、寄付した側が損するような風潮があります。こうなると資産を多くもっている人々は更に貯め込み、本当に困っている人へお金や物資が届かなくなります。貧富の差が広がる原因にもなるのです。

寄付には、資金的に勉学ができない若者の支援にも繋がりますが、それがなければ若い世代の可能性も潰していきます。若い世代と高齢者がお金を持つのはどちらの方が経済的に発展できるでしょうか。恐らく若い世代に投資した方が国力は増すはずです。寄付をネガティブなものにすると日本の経済発展にも悪影響を及ぼします。

 

転
寄付を増やすためにできること

本当に困っている人を助けるため、貧富の差を広げないようにするため、経済発展に繋げるため今後どのように変わっていけば良いのか考えてみましょう。

  • 寄付を称賛する
  • 寄付を批判する意見を助長しない
  • 寄付する人は見返りを求めない
  • 寄付する人は自分がやりたいからやる

寄付は元々見返りを求めない行為ですが、何かを与える人は巡り巡って自分に何倍にも得るものがあります。

寄付をすることで誰かが助かり、自分も助かる、ネガティブな循環よりもポジティブな循環の方が良いはずです。

もし自分が寄付することができなくても寄付をしている人のサポートや、寄付を批判する人の抑制はできるはずです。

寄付ができる人が寄付しやすくなるように、寄付を批判する人が批判できないように、寄付したいと思う人が増えるように、寄付が必要な人に届きやすくなるように、できることがあるはずです。

 

結
寄付をもっと届けやすくすれば国力も増える

寄付を批判するのは、歪んだ感情です。

寄付をすることで救われる人がいるだけでなく、将来に国や世界で役立つ活動をする人が生まれる可能性もあるのです。

寄付をすることをどうか恐れないでください。寄付に続きましょう。寄付する以外にも寄付した人をサポートすることができます。

『与える』ことに関して、最初は見返りを求めず無償で他人の為ですが、巡り巡って自分に良い形となって返ってきます。『因果応報』という言葉は仏教のお釈迦様が居た時代から説かれています。「過去に生じた原因は、現在に結果として現れる」という意味です。2600年以上前の言葉が今伝わっているということは、それだけ信じ伝えられてきているということなので、信ぴょう性は高いです。寄付という善い行いは、後々に良い結果をもたらすことでしょう。

寄付を批判する人にも因果応報で後に悪い結果をもたらすのは言うまでもありません。

さいごに世の中には寄付と名乗る詐欺の様なものも存在しますので、一概に寄付といって妄信しないように注意が必要してください。

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