何か新しいことを始めようとしたら必ずと言って良いほど学びが必要となります。みなさん、最近何か学びをしていますか。
何か始めようとするときに事前に何が必要か、どうすれば上手くいくのか、やっている途中も確認したり、分析したりすると思います。調べることや見つめなおすこと含めて大きなくくりで学びですよね。
学びを放棄することは新しい事つまり“未来”を放棄することと同じです。このことについて深掘りしていこうと思います。
学びを放棄して過去にしがみつく人々
調べ事をインターネットではなく、誰か人に聞く、もしくは聞いて貰おうとする人、調べて貰おうとする人、何でも人に投げて解決して貰おうとする人。
なかなか年配の人になると学びから遠ざかる傾向ですね。面倒くさいということもあると思いますが、恐らく未来への興味が薄れているのだと思います。
言葉は悪いですが先が短い、過去の経験という固定概念がすべてで、あとはもう新しい情報を取り入れない人もいます。
知らないこと、新しいこと、今までやったことがないことを始めようとすると、やり方を覚えるなど勉強から始まります。これができない人が少なからずいます。少しでも新しいことになると「若い人に頼みます」という調子の人までいます。
常に勉強して新しいことを取り入れていかなければ、勉強している人との未来の格差は広がる一方です。世の中は便利になっていくのに、自分がついていかなければむしろ不便になっていきます。
学びがなければ不便になっていく一方なのに、新しい学びを取り入れている人は時間の余裕も利便性も高めていきます。
挑戦・新しい取り組み・学び、これらを放棄してはこの先の人生を放棄しているものと同じです。
新しい事にワクワクする感覚を持つ
普通に考えれば新たに便利なものが登場すれば、今まで以上に豊かに生活ができて、時間の余裕が生まれるはずです。それなのに新しいものにいちいち抵抗を感じている人がいます。
これまでの慣れ親しんだ既存のやり方でやりたいというのは怠けです。結局は新しい事をやっていくにはその前に学びを行わなければなりません。その学びの部分をやりたくないから新しいものを取り入れることが億劫になる部分があります。
子供の頃は何もかもが新鮮で、新しい事に挑戦していくことが楽しくてワクワクしたはずです。
同じような日常の繰り返しであっという間に時間が過ぎていきます。新しい挑戦や慣れていないことをやることで同じ時間の中でも充実感が高まって時間を長く感じるようになります。
あっという間に時間が過ぎていくということは、それだけ退屈に過ぎていくという事です。そして充実感も残りません。楽しい時間はあっという間に過ぎるかもしれませんが、充実感は残り、後になると時間の濃さを感じます。
子供の頃にあったようなワクワク感を探し求めていった方が人生は豊かになります。それは慣れてしまった日常にはなく、新しい取り組みや知識の幅を広げることで視野や価値観がアップデートされて見えてきます。
新しいワクワクを手に入れるためにも学びを得ようとする謙虚な姿勢でいれば未来も豊なものになるでしょう。凝り固まって自分で新しい事を取り入れずに他人任せになるのは絶対にやめましょう。
新しいものを取り入れていく習慣をつけるべし
昔のことを語るなとは言いませんが、聞いても居ないのに「私の若い時は・・・」「私の経験上・・・」みたいな人の話って本当につまらないですよね。それを聞いたところで人生に役に立たないだらけですし。
昔の成り立ちや経緯を知ることは大切なこともあります。興味があれば別ですが、聞いてもいないのに昔話されると困ってしまいます。正直必要な情報というのは今もしくはこれからどうするかです。
要するに面白い話というのは、時代を超えても通用する内容か、割と新しい話題となるのですよね。新しいことに関しては分からないどころか、話についていけない、使い方が分からなくていちいち補助して貰わないといけない、そんなのもう取り残されています。
悪く言うつもりはありませんが、例えば切符を買う時や自動改札機で使い方が分からない、使い方を教えろ、窓口はどこだと言って騒いでいる人が居ますが、たぶん人が親切丁寧に説明してもまた「わからない」と言って人の力を借りようとすると思います。
自分で解決する気がないのです。「新しいもの」=「私はわからない」=「人に聞こう」こういうワンパターンにしておくと思考停止で楽だからやりがちですが、これは脳への刺激の機会も減って、自分の自立心・自己解決力も低下していきます。
自分で新しい情報をとっていかないばかりに、社会インフラレベルになっても扱えないので不便になるのですよね。どんどん社会から置いていかれるようになって無気力になっていく。自分で自分を不便にしています。
自分で新しい学びを得ようと努力しなければ、社会に置いていかれるのは当然です。仕事しないで済むところや食事を貰うのは難しいのと同じです。何歳でも学びと努力する習慣を継続していかなければなりません。
学べば未来は無限大!
「新しいことは、わからん」で済ます老人と荒らしいことに興味を持っている老人では、気持ちの若々しさも違ってきますし、生活自体も効率的かつ便利に暮らしていくはずです。
ここで言いたいのは、学ぶことをやめてしまうと単なる無知で社会に取り残された人になってしまうことです。
現代、ITを中心に著しい進化をしています。家電がインターネットに繋がり、スマートフォンやタブレットが普及し、昔はごく一部の人が面と向かってしか得られない情報が今では、インターネットを介して溢れています。
現代のテクノロジーの進化と情報の広まるスピードが凄まじいものがあります。しっかりと学ぶことを続けている人と、そうではない人の差はこれからますます広がっていきます。
学びを続けることで、これからの時代の流れや自分の可能性も広がることは間違いありません。ちょっとした情報を知っているかそうでないかで、生活の質も大きく変わります。
学びを続ける人には無限大な可能性が、学びをやめてしまった人には現状維持はおろか、周りが便利になり過ぎて不便になっていくことでしょう。
自分で調べる、新しいことも触って理解する、若者に丸投げしない、思考停止しない、そうすれば未来を放棄せずに豊かな人生を過ごすことができます。