海外駐在の大先輩(還暦間近)の方に有難い言葉を頂きました。驚愕してしまったのですが、飲酒・異性関係・喫煙が良い事だと言わんばかりの口ぶりで語ってきました。

ジェネレーションギャップを感じて仕方がありませんでしたが、昔だけでなく現在もこういう方が居るのだなと好奇心も出てきました。

大量に飲酒できること、異性関係、喫煙をするのが“男”みたいなマウントをとる人を、飲酒も普段しない・超愛妻・非喫煙者の私が論破する記事を書いてみようと思ったので最後の結論まで読んでみてください。

起
年配の人に妙に粘着される

昔の人と言ったら反感を買うかもしれませんが、年配の方々は飲酒・異性関係・喫煙することを自慢する人が多い気がします。それなしでは人生楽しくないみたいな感じです。

冒頭でも私は飲酒も普段しない・超愛妻・非喫煙者、それに加えて年配者に比べて若いという真逆のスペックです。

こうなるとまず若いだけで、嫉妬をかう上に更にお酒を飲まない、浮ついたことをしない、喫煙しないと健全さMAXだと眩しすぎるのか、「何が楽しいの?」みたいな粘着が開始されることが多いです。

オジサンたちの言い分は、「最近の若い人間は、賢いが弱い」みたいな精神論を持ち出す始末です。そうなってくると得意技が「昔は体育会系で・・・」「昔は暴力が当たり前だった」「悪自慢」みたいな現代にマッチしない話の方向に流れて時間の無駄と化します。

たぶんそのオジサンの世代は上の人に「お前たちは戦争を知らないから・・・」みたいなこと言われてマウントを取られて来たのではないかと思います。

普通に考えて、飲酒も普段しない・超愛妻・非喫煙者って良い事しかないですよね。この健全さを善と思わない人は自分が行っている行動を否定されたくないがために相手を否定しようと躍起になっているだけです。どうして他人の足を引っ張ろうとするのか理解に苦しみます。

承
オジサンのマウンティングを論破していこう

飲酒しなくて何が悪い?

酒に強くならなければみたいな風習がありますが、そもそもどうして無理をする必要があるのだろうか。宴会は楽しむことが目的のはずなのに。

そもそも酒を飲みたいなら飲みたい人同士のコミュニティの中だけでやるべき。まるで酒に強い事が優れているような方向に持って行くのは理解できない。気が進まない人を巻き込んでまでやる宴会には本当にムダしかない。

酒のみアピールしている年配者もイタい。休日は家でテレビみながら酒を飲んでみたいな話をして酒豪アピールしている人が居るが、どんだけ暇なんだと思うが、趣味がお酒という事であれは別に否定はしない。お酒を飲んでストレス発散するのもその人の自由。

私はお酒が好きではない・体質的に合わないので飲まない。お酒を買って飲酒するお金と時間よりも、動画や読書で学習すること、家族で団らんする方に時間とお金を使いたいと思うから。

ストレスに関しては飲酒よりも運動をした方が体力もついて健康的だと思う。そしてストレス解消には運動は最強の効果をもたらす。

異性関係で遊ばなくて何が悪い?

奥さんが居たりしても海外で単身駐在しているオッサンたちはアグレッシブ。やることがなくて思いつくのがそういうことなのかもしれないが。

普通にお金と時間が勿体ないのと、「世界で一番の女性が妻なのに他の女性に興味もつ理由あるか?」という言葉を飛ばしておく。浮気するという人はそもそも結婚すんな。

時間的にも倫理的も、家族の資産であるお金にしても全てにおいて勿体ないと考える。

喫煙しなくて何が悪い?

既に喫煙者は肩身の狭い思いをしているのでもういう必要はないが、喫煙者コミュニティみたいなものがある。私は別に喫煙者と仲良くなりたいと思わないし、タバコの煙を吸ってまで聞きたい話もない。

健康に悪いことに加えて、依存性とタバコの費用・喫煙する時間を考えるとムダでしかない。吸いたい人だけ周囲に迷惑かけない程度に吸っていれば良いと思う。が、喫煙者本人は無意識に大体周囲の他人を受動喫煙させる、口臭や体臭で不快な思いをさせていることが多い。

クサい、不健康、時間と費用が勿体ないと考える。

転
とはいえ、個人の責任と自由

別に私は他人に対して飲酒するな、異性関係で遊ぶな、喫煙するなと言っているわけではありません。他人に迷惑をかけずに自分で楽しむ分には良いと思います。他人に迷惑を掛けない分には。

自分の行動に対して責任がとれる範囲であれば自由に楽しんで構わないと思っています。他人の行動や習慣にとやかく言うのは横暴です。まして飲酒も普段しない・超愛妻・非喫煙者という健全な部分をまるで悪のような良い方をするのは論外だと思っています。

「何が楽しいんだ?」みたいな良い方をされますが、昔と比べて今は時間の過ごし方が多様化しています。その個人のプライバシーに関わる楽しみを昔の考えで凝り固まった人に説明する義務もありません。説明したところで理解できるか確実性がないことに加え、別に自分に得がないのですから。

昔は会社の往復、飲酒・喫煙・異性関係が選択肢だったのかもしれませんが、現代は個人の影響力を高めることができ、発信もできる。人づての情報収集からインターネットを通じて誰でも世界中から有益な情報を得ることができます。

これからの時代、日本の経済成長と高齢者の増加を見ると収入の増加は減り社会保障の負担は増えていくでしょう。

そうなってくると大切なのが学習・投資・複業となります。今は考えるべきこともやるべきことも多様化し可能性に溢れています。

自分はどうするかに重きを置くべきです。自分の選択肢が多く溢れているこの時代なので、他人の思想や行動・習慣に関してとやかくいう時間はありません。

結
オジサンよ、若者に突っかかるのはやめろ

今の若者はインターネットが普及して情報の中で育ってきたので、賢いです。論理的にも考えられますし、正しい知識を持っています。それに比べて年配の方はどうでしょう、人づての情報や自分の経験・間違った情報や時代背景をアップデートしないで凝り固まった価値観で過ごしていませんか。

年配者は「自分は目上だぞ」ということで有利な立場から意見を言えます。若者も目上を立てて意見を言わずに引いてくれるかもしれません。ただし、間違ったこと、時代にそぐわないこと、倫理的に間違ったことを正当化して若者の批判をすることは許されることではありません

若者たちが求めていないアドバイスや指導は本当に理屈や正当性の裏付けがあることだけ行ってください。

若者たちも反抗する必要はありませんが、理不尽、筋の通らないこと、精神論や感情論は目上の方にも「どうしてその様に思うのですか」とその意見の根拠を説明してもらうようにしましょう。

説明できない、論点のすり替え、納得できないようであればそれはまともな意見ではありません。

オジサンは本能的に自分よりも若い人と張り合おうとします。それは仕方がありません。百歩譲ってその性質を理解した上で接していきましょう。いずれにせよ他人のことをとやかく言うのは止めて自身が今後やるべきことを考えた方が良いです。

ということで、「オジサンよ、若者に突っかかるのはやめろ」と言いたい。自分のことを棚に上げ、自分の目上には何も言えず、目下にばかり大きな態度をとる行為は、誰から見ても小さく見えています。

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