最近思うことがある。「業界の発展のため」と時折耳にする。まるで環境活動のような正義感を含めて発されているが、違和感がある。

業界にもよりますが、その業界が発展したら何が良いのか、どうしてその業界を発展させなければいけないのか理由がわからないものが多々ある。

お金儲け感を隠す「業界発展のため」

とあるインフルエンサーの配信を聞いていたのだが、そのインフルエンサーが新商品の発売を発表していた。「お金儲けのためなら、もっと他のことをやる。これは業界発展のため」などと言い訳していました。

かっこつけないで、正直に「今後この業界の需要が伸びると思って着手した」みたいなことで良くないかなと思う。需要があるということはそれを得て喜ぶ人もいるわけでその人たちの満足・喜び・豊かさを得る対価を得るわけなので。

業界を発展させることが目的としたら、そもそもその業界が社会的に発展しても良いものなのか、業界発展に際してニセモノや紛い物が出現しないか、業界内が利益を独占する体質にならないかという問題も考えられるわけ。

本質は求める人が居てその人に提供できるかどうかではないだろうか。欲しい物が手に入って嬉しい人と、それを販売してお金を手に入れて嬉しい人そのWin-Winの関係で良いんじゃないだろうか。「業界が」とそんなこと言い出して誤魔化そうとして欲しくない。

スポーツにおける「業界発展」に関して

スポーツ業界でも良く耳にする。「業界の発展」や「競技人口を増やしたい」という話を聞くが、これには様々な意味があると思う。

  • 自分が好きなスポーツをもっとみんなに知って貰いたい
  • スポーツには様々あり、みんな自分に合ったスポーツをしましょう
  • 世界に通用する競技者を増やしたい
  • 伝統的なスポーツのレベルを下げずに残したい
  • 幅広い年齢でできるスポーツを広めたい

スポーツは人に感動を与えることもできるのはわかる。私はワールドベースボールクラシックのイチロー選手の決勝タイムリーはリアルタイムで見ていて感動した。

それでもスポーツには、競技によってはトップアスリートになれば大きな収入を得られる競技もあれば、得られない競技がある。スポーツにおいては、その競技で多くの人々に感動を届けて、収入も得られるかどうかも重要。「自分がやりたいから」「好きだから」というスポーツは業界関係なしに個人で楽しめば良い。

「業界の発展」という名目の既得権益

体裁やお金稼ぎや既得権益の部分をオブラートに包むために「業界の発展」と言う必要はない。資本主義のもとで需要が見込まれる分野にリスク張って参入して利益を求めることは自然ではないだろうか。

お金儲けは悪、大金持ちは何か悪いことをしているなんて認識を持っているとすればそれは流石に時代遅れだ。より早く需要をキャッチして市場に提供、工夫をして利益を多く残した成果である。

しかしどうして「業界の発展」と声高に言う人が居るのだろうか。自分でブチ抜いてしまえば良い話ではないかと思ってしまう。考えられるのは下記だ。

  • 業界の発展ということでお金儲けを誤魔化す
  • 業界が発展すれば早期参入として業界の発展とともに既得権益を得られる

結局はお金の為に業界と言う名目を利用しているに過ぎません。誤魔化したり、業界が発展することで自分が何もしなくても先行者権益を得るためだったりする。

お金を稼ぐことも先行者利益を得ること自体はビジネス的に立派な手段である。ただ、「業界の発展の為」みたいな言葉を使って体裁が良くしようとすることに違和感がある。

この世の中、建て前と実態、言っている事とやっている事が矛盾していることが多々ある。今回の「業界の発展のため」は一例に過ぎず、「貧困国の支援」「環境問題への取り組み」などの言葉がファッションになっていないか、本質を見抜くことは商売の中でも人間関係の中でも重要な要素だ。

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