今回は深いテーマ『共依存』に関して。良かれと思ってやっていることが実は自分のためであることが多く、相手の為になっていないことが多いので、この記事を読むことで冷静に自分を見つめ直す機会となればと思います。

起
共依存とは?意味や事例

共依存とは「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」と言われています。

よくある事例としては「過保護」も該当ですね。

  • 本人が頑張ればできることを見守ることができずに手を出してしまう
  • 本人がやる前にやってしまう
  • 本人が苦労するのを見ていられないから自分がやってしまう
  • 本人よりも自分の方が能力のあるところ(威厳)を見せたい
  • 世話をする全面的に自分は正しいと思っている

例えば、お子さんの運動会などでも当事者よりも張りきってしまう親御さんがいます。夏休みの宿題が終わっていなくて殆んど答えを教える親御さん、夏休みの自由研究を子供が思いつかないレベルにしてしまう親御さんが居ます。

ここでの問題はお子さんが調べること、決断する、自立するような機会を奪っています。愛情や世話をして愛情の混じった支配となります。

本当にお子さんが重要な作業や決断をするときに正しい判断ができるでしょうか。大人になってから自分で物事を調べ決断して人生を歩んで行けるでしょうか。

別の例では、年配の方への親切でも然りです。年配者の身の周りの世話をすることは良い事のように思えますが、年配者が自分で何もやらなくなると、痴呆や筋力の低下を招く可能性が上がります。

承
過保護を受け続けるとどうなるのか

過保護にされ続けると、何でも人に聞く、頼ってやって貰おうとする人になっていきます。自分で調べれば済むことも、自分で最初努力すれば以降できることも他人任せになっていきます。過保護にされることで、実行力・自己解決力・決断力を失います

助けること、世話をすることは美化されがちなので過保護を実行する人も悪いと思いません。過保護を受ける人も親切にされて悪い気がしませんし、自分がやらなくても問題解決くれるのでラクもできます。

「短期的かつ表面的なメリット」と「長期かつ本質的なデメリット」のバランスに気が付かずにその悪循環はエスカレートしていきます。

過保護を行っている人は自分の過保護を他人にも求めるようになりますし、過保護を受けている人もまた過保護にされるのが当たり前になっているので、様々な人に手助けを求めていきます。

「過保護をする人」と「過保護にされる人」の2人の狭い範囲でエスカレートするのであればまだしも、その周囲の人たちにまで過保護・共依存が連鎖されていきます。

たった二人の共依存の関係だったのが広がりを見せていき、「人に助けて貰って当たり前な人(テイカー)」と「世話と時間を奪われる人(ギバー)」が生まれることもあるでしょう。

早めに結論を出しますが、まず過保護は相手の為にならないということです。相手をダメにします。そして相手だけでなく、周囲の人まで依存の輪に巻き込まれる可能性が高いです。

転
過保護をする人・過保護にされている人から逃げた方が良い

ここまで述べたように、「過保護をする人」「過保護にされる人」その両方と距離をとった方が良いです。

「過保護をする人」自分が過保護にされたら悪い気がしませんが、結局は自分の成長性を失います。自分が過保護の対象でなくても「こういう人を助けるべき」という過保護な価値観を押し付けて自分まで過保護をさせられる可能性があります。

「過保護にされている人」は言わずもがな、何でも人にやって貰おうとする体質になっている可能性が高く、「いつもの世話(過保護)をする人」が居なければ、近くにいるこちらに世話をしてもらおうと巻き込まれる可能性があります。

自分が世話されていないのに他人を世話する筋合いはないです。それは冷酷で薄情になれと言っているのではありません。

人の親切は時として、他人を蝕むことがあります。良かれと思ってやったことが相手を苦しめる結果となる方がよっぽど悲劇です。

自立して他人に迷惑を掛けることもなければ、迷惑を掛けられることもないのは当然の話です。過保護の輪に入るよりは、自立してしがらみのない生活を送った方が幸福でしょう。

結
過保護は予想以上に恐ろしい

あまりにドライだと「冷たい」と言われ、やり過ぎると「過保護」と言われて難しいですね。

実はドライって一瞬の不快さだけで特に実害があるわけではないのですよね。過保護は実は長期的に見てリスクがあります。

共依存は世話をしている側は世話(労力や時間)をして充実感を得て、世話を受けている側は自己解決することなく助けを得ます。

この共依存美しいように見えて、一方は他人のために時間と労力を犠牲にして、もう一方は自立性を犠牲にしていくのですよね。そして依存ということは片方が居なくなると困るという事です。成立しなくなります。

そもそも何かを犠牲にしているということは、長くは続かないことを意味しています。まして自分だけでなく自分以外の人が関わると余計です。

いつかは共依存の悪循環と取り巻く環境の変化でいつかは限界がきます。その時に共に依存してきた人々が迎えるのは苦難でしょう。

急に自立を始めようとしても、それまで自立性を積み重ねてきた人々とは埋められない差が開いています。依存をしてきた人々は普通の生活も困難になりますが、しっかりと自立性を鍛えてきた人々はこれまで通り快適に暮らしていくことができます。

さいごに気付かないうちに共依存にならないように気を付けましょう。共依存の入り口である「過保護」の輪には関わっていないか人間関係を見直すことを提案します。

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