近年で感じていることですが、世の中が倫理的かつ合理的にますます突き進んでいるように思えてなりません。

その理由を過去の実例から挙げ、今後どのように世の中は変わっていくのか、人々はどのように適応していくのか述べていきます。

この記事を読むことでこれからの時代の変化に順応しやすくなるでしょう。

起
悪しき風習は淘汰される

悪しき風習で言えば、接待などです。会社同士の取引先などでちょっとした食事や粗品であれば理解できますが、明らかに度が過ぎたサービスや私腹を肥やすような行為がひと昔前ありました。

そうした私腹を肥やす人員がまかり通っていた時代がありましたが、コンプライアンス違反として一時期そうした行為を行う人員が内外から告発され淘汰されました。

パワハラ上司なども同様です。社内の優位な立場を良い事に部下への精神的な苦痛を与えることがまかり通っていましたが、今では許される行為ではありません。

昭和の時代になるでしょうが、教師が生徒に体罰を与えることもまかり通っていました。現代ではありえないことです。

こうして当時の常識と現在の常識は時代とともに異なるのです。しかしながら時代とともに倫理観と合理性は研ぎ澄まされています。

本来会社の取引は公平な立場であり、どちらが上か下か損得するものではありませんし、まして担当者が接待を受けて私的に益を得て取引を左右するなんてあり得ないことですからね。

教師やパワハラ上司などの立場が上と言っても理不尽に目下の人間を屈服させて精神的・肉体的にも苦痛を与えるのは人として許されることではありません。

黒寄りのグレーな行為をする古いやり方を続けていると、昔はそれで私腹を肥やせていたが、今は完全に黒として淘汰されます。

飲み会などもその集団の中で地位が高い人が楽しむだけで、会を開くなら行きたい人だけで集まれば良いですが、暗黙の圧力や強制的に参加させられる飲み会なんて楽しくない、時間とお金のムダという考えが定着しつつあります。

昔は付き合いだから仕方が無いという考えから、現在はキッパリと行かないという人が増えています。合理的になってきているのです。

承
今後は倫理観と合理性が研ぎ澄まされていく

今後の予想をしていくとまず、倫理観と合理性の追求は加速していくと考えられます。例えば、企業同士の取引でも買い手という立場を利用してメーカーから商品を安価にするように買い叩きを横行している企業は今後厳しくなるでしょう。目先の利益のために取引先

に不当に安く仕入れ、取引の存続などの脅しをかけて無茶な計画の納期を組むなど、要は自分だけ得して相手を消耗させるような行為はサスティブルではなく、倫理的にもアウトです。

上記の何が問題かと言うと、当の企業は何も努力をせず、仕入先やメーカー、下請けなどにコストダウンや納期の短縮を行っていることです。これは現在多くまかり通っています。

どうしても資本主義となると安く仕入れて高く売る、売り行きが良い時に商品を仕入れたいという思惑があるので、仕方がないように思われがちですが、その流れをいち早く察知して調整するのが経営者であり担当者の役割です。立場を使って取引先へのしわ寄せで解決しようとするのは間違いです。

高価でも買ってもらえるような価値の提供、ブランディング、企業内のコストダウンや適正化ができていないということです。自社努力のない下請けやメーカーへの値下げ要求は悪と断言しています。

合理的価値観が進むことについても述べていきます。例えば飲み会をいつもやっている人と家に帰って読書や学習・運動をしている人で、個人のスキルと資産はどれだけ差がつくのかを考えてみると簡単に予測できます。

誰かに拘束される時間・自分の意思ではなく奪われている時間はムダなだけでなくストレスにもなります。自発的に過ごす時間の方が生産的なのは明らかです。

現代は家に居ながらもインターネットを介して学習もでき、知識を得る事もできます。インターネットの情報によってどんな習慣・行動をとれば合理的なのかもある程度見えてきます。

これからは古い風習での時間の使い方と新しい合理的な時間の使い方で大きな差が生まれます。当然合理的な時間の使い方をしている人の方が成功する確率は高まり優秀になります。

優秀な人は立場的にも強くなりますのでそうした人が規範になっていき、合理的な人が多数派をとっていくようになっていきます。

単純なことですが、感情論ではなく、結果や数字としてやった方が良いことをより多くやった方が良いよね、となっていくわけです。

合理的な人が収入を増やし幸福度が高まる一方で、いつまでも古い価値観でいる人は取り残されていきます。その差を埋めるためには合理的になるしかなく、その中で更に差別化するために合理化に磨きが掛かる事でしょう。

転
倫理観や合理性を目指さなくても良い場合もある

倫理観や合理性を突き詰めていく世の中は窮屈だとお考えの方も多いでしょう。別に人格者じゃなくても怠惰な生活をしても良いじゃないかと。

私も含めて、人は完璧にはなれません。完璧な倫理観を持つ人・完璧な合理性(生産性)のある生活を送る人にはなれません。

そこで肝心なのは“他人に損害を与えないこと”“自分の中での価値観が高いもの”となります。

例えば普通に考えたら喫煙や飲酒は健康を考えると控えた方が良いですよね。でも喫煙に関しては副流煙を他人が絶対に吸わないように配慮、口臭にも注意すれば、他人に損害はないですよね。自分の健康が害されるだけです。

飲酒に関しても自分が飲酒する際に寂しいから他人を無理に誘って他人の時間を奪うようなことをしなければ迷惑は掛かりません。飲酒するのが好きな人と集まって飲酒する分には誰も迷惑しないです。

周りに迷惑をかけず、喫煙や飲酒する分には自分の健康を害する可能性を高めるものの、それでもストレス発散や気分転換ができるということで自分の中での価値観が高ければ行ってOKと思います。

他人に損害を与えず、自分で責任がとれること、そして自分の中でデメリットを上回るメリットがあれば、我慢することはないでしょう。

私からすれば、ストレス発散をするなら飲酒や喫煙ではなく運動する方が、効果も絶大でお金も掛からない上に健康面でも良いと考えます。

結
世界は正しい方向に加速していく

記事タイトルの『今後の世界は倫理的かつ合理的な方向に加速していく』と結びの章『世界は正しい方向に加速していく』は同じ意味です。つまり倫理的かつ合理的に正しい方向に世界は動いていきます。

具体的にどうなるのか記述しました

今までのアナログで人間臭い、感情論が残っているのも風情がありますが、現代はデジタルが身の回りに溢れています。情報伝達や拡散が速くなった一方で倫理観が求められます。今まで得られなかった情報がインターネットを介して得ることができるようになり、意識が高い人は自分で通信講座や動画学習、情報交換をすることができます。

今後は倫理観や合理性をアップデートして取り入れられるか否かで格差が生まれることでしょう。これまでの既得権益や既存の富裕層は既存の古いやり方でもやり過ごすことはできるかもしれませんが、発展は難しいでしょう。

これからは正しい倫理観と合理性を身に着け、愚直に正しい事を実行し続ける新たな高所得層が現れると確信しています。単に頭が良い、賢い、行動力がある人とは別の倫理観と合理性・生産性・理想を愚直に追い求める新人類です。

理想(倫理性・道徳性・合理性・生産性)という最適解(目標・達成値)が用意され、ムダを省いて愚直に突き進む機械のような新人類が現在進行形で力をつけています。

巷では人と機械・コンピュータ・AIの融合が唱えられていますが、人類も機械やコンピュータに近づいていくのではないでしょうか。目指しているものが機械やコンピュータであれば融合した方が手っ取り早いというロジックも成り立つのは自然のことなのかもしれません。信じるか信じないかはあなた次第です。

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