サラリーマンに告ぐ!!はい、俺です!!以降一人称が私になります。このブログではめずらしい、私の歪んだビジネス論を述べていきます。日本社会にだけでなく世界中のビジネス業界に一石を投じます!!
社会人(サラリーマン)となってしばらく経ちますが、楽しい事嬉しい事もあれば、辛い事悲しい事が多いです。
正直辛い事悲しい事が圧倒的に多いですね。理不尽に罵られ、意見も届かない、厳しい要求をされるなど、サラリーマンは大変ですよね。
その中でぶつかった壁・行きついた苦悩のがタイトルの『人に好かれて会社を廃らせるか、人に嫌われても会社を守るか』です。
保身か会社か
私が社会に出て思ったこと。本当に色んな人が居ます。ただその中で『言う(言える)人』『言わない(言えない)人』が存在することに気が付きました。
何を言えるか言えないか、それは正しいと思える事を自分が言うべき相手に言えるか言えないか。正しいというのは色々あります。倫理的・社会的・理論的・確率的など様々な正しさがあります。考える事は人それぞれ、一概に正しいとは言えませんね。なので、「思える」という言葉にしました。
焦点は、正しいと思える事をしっかりと言えるか言えないかということです。そしてそうしたことが言える人間は私が見てきた中ではごくごく少数でした。
例えば、あなたの上司が裏付けのないこと、実績や経験的におかしな提案・指示をしたとき、あなたはどうしますか。大半の人はそのまま上司の意見をのむと思います。
小説・ドラマの下町ロケットでは、従業員が社長の意見に対して反対意見を言う事がありますが、あのような素晴らしい会社環境はなかなかないでしょう。
上司から嫌われないように、波風が立たないようにというのが大多数です。一見大人な対応に見えますが、果たしてそれは正解なのでしょうか。
場面は様々だと思います。お局(おつぼね)系のオバサンが業務時に何時間も席を外してどこか遊びに行っているのに注意できない周囲。それを良いことに余計にエスカレートします。
世の中には、会社のことも考えずに給料され貰えれば良いと考えている人間がいます。
そういう人間に対して意識や行動を正せるように言えないと会社は良くはなりません。
他人の行動を正す・文句をつけることは、その注意した当人にとっては何の得もないのです。少なくとも注意した人とされた人の間には多少なりとも軋轢(あつれき)が生じますし、下手をすると周囲にも波及してしまうのです。
会社を良くする・悪くしないためには、自分自身が周囲との軋轢(あつれき)が生じるリスクをおかしてでもしっかりと意見を言う度胸は必要です。
八方美人が、会社を駄目にする例
場面の例ですが、サラリーマンはある顧客に商品を供給する仕事をしています。ある日顧客から無理難題な納期を求められました。生産キャパシティを精査してみると物理的に顧客が希望する納期に間に合わせるのは、不可能だということがわかりました。
つい本人を前に顧客と供給元という立場もあり、面と向かうとついつい情に流されて無理難題をできると答えてしまいがちです。
顧客の機嫌を損ねないようにとった行動は決して間違いではありません。今後の取り組みにも影響が出るかもしれないのでネガティブな情報を言わないというのは1つの作戦ではあります。
問題は口に出す、もしくはメールでできると答えた以上は言葉に責任を持たなければなりません。できなかった時の顧客の失望感は今後の取引に関わるものです。
顧客に嫌われたくない、言うべきことが言えないということは結局会社の業績を悪くする可能性があります。
「自分が正しい」は虚像
陥りがちなのは、何が何でも自分が正しいと思い込むことです。何が何でも自分が正しいと思っている人は、過去の成功経験やキャリアから他人の意見に耳を傾けません。自分の言うとおりに動いてくる人が好きになっていきます。
またはあまりにも正論を言いすぎる人です。人には分かっているけどできない事。意志が弱い、または能力が不足しているなど様々な要因があります。正論と可否はまた別な話です。
上司が「みんなの意見を聞かせてくれ」と口では言うものの『こちらの意に沿った意見を言ってくれ』というふうになってきます。それを正誤関係なく上司の顔色をうかがって忖度(そんたく)した耳触りの良い事を言う人間が周囲にいると悪化の一途をたどります。
「自分が正しいと」と思っている人がどうなるか、新しい情報も入らず時代の流れ、周囲の環境に対応できずに過去の古い情報や経験の中で「何かズレのある」判断をする人になっていきます。はっきりと間違ってはいないけど、なんだかおかしくなるのです。そこから歯車は乱れていきます。
ただ、反対に会社でサラリーマンをしていて上司の言う事を聞かないのもどうかとは思いますね。サラリーマンである以上社長という絶対的なトップが居て、そのトップに少なくとも自分より近いであろう上司が言う事は聞かなければならない部分もあります。
会社の方針に従えないなら企業して自分で経営者になってみろという話です。もしくは社内で絶対的な発言権を得るまでに自己研鑽して昇進するという方法もあります。
上司の立場でも部下の立場でも「自分は正しい」と思いこみ過ぎることは会社的には悪になる可能性があります。どんな人にも誤りがあるものです。
目先の身の回りの平和をとるか、会社全体の未来に貢献するか
波風立ててでも会社の為になることを発言するか、それとも周りの顔色伺って同調するか、あなたはどうしますか。
『金持ち喧嘩せず』という言葉は一理あります。波風立てるにしても喧嘩までいかないように言い方や説得力のある根拠を述べれば良い事です。
全部根拠も全て揃えておきながら、発言力のある人間(上司など)が悪化になる可能性が極めて高い、もしくは間違った判断という場合にも顔色を気にして、忖度(そんたく)して何も言わないことに対して、私はとても憤りを感じます。
明らかにおかしな方向に進みそうな場合に訂正に進むような発言をするか、見て見ぬふりして黙っているか。正しいと思える意見を言えるか、言いなりになるか。度胸の有無や仕事に対する情熱・性格的な部分もあるかもしれません。
1つの会社に多くの人が居て、だからこそ得意分野や意見交換で新しい事ができると思います。会社の為になることを同僚であればぶつけても許してくれる・受け止めてくれると思って発言する事こそ真の信頼関係ではないでしょうか。
会社の為のことを考えずただその場の目先と周囲という小さな部分を優先すること・和を乱さないことがそれほど重要でしょうか。
極端な言い方ですと、会社全体や長い未来の成長という大きな部分か、身の回りと目先の安定の小さい部分をとるか、という事に繋がると考えます。
人に好かれて会社を廃らせるか、人に嫌われて会社を守るか ≒身の回りと目先の安定の小さい部分をとるか、会社全体や長い未来の成長か。
実際には前者の行動をとる人が多いと思います。特に日本では。ただし私は後者でありたいし、後者の行動がとれるような人間になりたいと思っています。ただし、その評価は自分ではなく、他人がすることだということがこれまた難しいところです。
この記事を書いていて、凄く真面目に偏った意見を述べている自分に少し引いてしまいました。ブログだから、誰かに情報や意見を発信する場だからと言い聞かせています。ちょっと恥ずかしいです。
楽しんで人に好かれて会社も発展できればこの上ないです!!