物事をとても短絡的に決めつけてしまう人が結構多いです。あなたも心当たりがあるはずです。私もその節があります。

物事というのは色んな立場や状況、経緯があり一概に極論で片付けてはいけない部分があります。

極論に意見を偏らせてしまうとそれ以外の範囲もすべて否定することになるので、選択肢がとても減ってしまうのですよね。そうするとどうなるかと言うと一度自分の言ったことに固執して、大きなチャンスに乗り遅れるということが多々起こるわけです。

偏った思考で失敗する事例や、そうした思考にならない予防策をこの記事で掲載しています。

 

起
物事を「白か黒」か「0100か」でしか考えられない損な思考とは

0100かでしか考えられないと、固定概念や思い込みによって、チャンスを逃し、一度自分が否定した事が正しかった場合、素直に受け入れることが難しくなります。

例えばYouTubeに関して、テレビのタレントが「YouTubeなんて(笑)」「俺はテレビの人間だ」みたいな考えで固執していましたが、結局今は大勢の有名人がYouTubeに出遅れて参入しています。

この場合は、YouTubeが来るかもしれないならチャンネルや配信しておくかと当初から動いておくべきでした。全力でなくても10%でも20%でもコミットしてやっておけば良かったのです。でも大体の人が0のまま、コロナ禍で初めて参入しました。

新柄コロナウイルスでの収録・イベントが難しくなり、大勢のタレントが参入するのを見てYouTubeで発信をせざるを得ないのは分かりますが、最初の固定概念でスタートが遅れていますね。

有名人であれば、コロナ禍になる随分前から参入していれば、話題にもなっていたはずです。現在有名人が参入しても普通の事になってしまっていますね。

物事を白か黒、0か100で考えるのは思考を放棄しているだけです。決めつけてしまった方が脳を使わず楽ができます。その後も最初に決めた事を思考停止で過ごす。しかし気が付いた時にはチャンスを逃しています。

仮想通貨も同様です。「なんか怖い」「危ない」「もう終わりでしょ」と言って触らない人が居ますが、iPhoneが登場した時に振り向かず、ガラケーを握りしめていた人に似ています。

自分の資産を増やす機会も資産ヘッジや未来の通貨になるかもしれないものを最初から切り捨てています。後になって、あの時買っておけばよかった、保有していれば良かったとなるのでしょう。

 

承
物事は「混色」や「199」の事が大半であること

染め物を例に挙げると純白や漆黒に染めるのは難しいのですよね、厳密に言うと何かしらの色が混ざっている。数字だともっと分かりやすいですが、0か100よりも1~99の方は明らかに選択肢が多いですよね。

人によってはグラデーションの部分とも言いますが、本当この極端よりもグラデーションの部分がほとんどです。でも人はロクに調べもせず「真っ黒か真っ白」「0100」を決めようとします。

別に優柔不断になれと言っているわけではありません。決断が迫られることも多々あることは承知しています。

判断に関しては、グラデーションの中で傾倒している方を選ぶことになると思います。ただしそれで意固地になるのではなく、誤っていたと判断したら訂正する目線も持っておくことが重要です。

朝令暮改(ちょうれいぼかい)という中国の古いことわざがあります。朝決めた取り決めを夕方に改めるということですが、昔の王朝でもありました。今経営のカリスマと呼ばれる人たちも結構いう事が変わったりします。

初志貫徹という言葉もあり、朝令暮改と相反する印象ですが、最初の志を達成するために途中で様々な考えや行動を改めることで近道であるならそちらを選択するという風に頭を柔らかくすると合点がいきますね。

それは自分の判断が誤っていたと認める能力でもありますし、時代の流れや潮目が変わったのを嗅ぎつけて方針を改めているのです。人間そもそもいつもかもベストな決断を出来るとは限らない。

一番恐ろしい事は、誤った判断をしてもなお、引っ込みがつかず強行し続け、更に後からこじつけをして正当化しようとすることで、誤りを反省しないことです。

 

転
極論の持ち出し方を誤っている人が多い

白黒つけようと極論を持ち出して、意見をねじ伏せようとする人が居ますが、多くの場合持ち出した極論自体がピンと来ないです。あと、常に極論で考える人は思い込みや頑固が強いので、いくら言っても無駄だったりします。

例えば、仕事をするのが正義みたいな価値観を今の若い人に押し付ける年配の方が居ます。「会社を休んでも支障ない人間は必要のない人間」と極論を持ち出すのです。昔と今は時代が違うのと、雇用条件など固定概念ではなく今今の事実を見て欲しいですね。仕事以外に学びの時間や癒しの時間、趣味の時間があって充実感や幸福を感じるはずです。

もう一つの例、「飲み会に参加すべきだ(強制)」これも飲み会好きは良いですが、お酒が好きでない人、むしろ時間の無駄だと思う価値観の人が居るわけです。強制参加させて何が楽しいのでしょうか、楽しくて参加したい人だけで良いはずです。それとも強制にしないと集まらない理由があるのか・・・。そもそも他人の時間を縛ろうとすること自体おこがましいことです。

議論で極論を持ち出すは余程周囲が満場一致で納得するものだけですね。結論を出す場合以外は安易に極論を語らない方が良いです。基本的に極論を語るのは避けた方が良いでしょう。様々な立場、経緯、環境があるわけですので、一概に言えません。

 

結
極論は短絡的で視野が狭くなる

極論は、結論を出すことが必要な場面では有効だと思いますが、常日頃から極論で物事を語るのは、考えが凝り固まりやすく、考えの深さが不足、様々な視点から見るのが難しくなります。

0100かの2択よりも1から99の選択肢の方が多いわけで、色で言えば真っ白か真っ黒の2択よりもその他の色の方が無数にあるわけです。

極論で自分の考えをクリアにしてしまうのは楽と言えば楽なのですが、結局そもそもの選択肢が少なくて正解へたどり着く確率も低いですよね。

出来る限り人は、ボヤーっとしたグラデーションのかかった柔軟な考えの持ち方がやはり良いのではないかと思います。優柔不断なのではなく、決めつけないことが重要です。

私も判断を求められるケースは多いですが、「絶対こっちが良いですよ!」というよりは「どちらも良い所がありますが、今回はこちらの方が良いと私は考えます」と余白を残して判断します。

別に責任を逃れようと保険をかけるわけではありません。判断した以上は立場的な責任は持ちますが、余白を残して置くのは自分の考えを固執させないための工夫です。

素直に自分が判断で選択しなかったものが後から良いと分かった場合に柔軟に受け入れるようにするためです。

極端に判断してしまうと事実を見誤る可能性が増すだけでなく、過度な思い込みとなり、周囲の意見も耳に入らなくなります。そして将来自分が否定したものを頑固に否定し続けることは、フラットに見ていればチャンスを掴めることが、最初から放棄して将来の可能性を潰すことにもなるのです。

何でも極端に考えて、一度決めつけてしまうことは、楽ですが損です。もっと柔軟に深い考えを持つように心がけていきましょう。

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