「最近の若者は」「最近の若いやつは」という言葉や、「平成生まれは」とか「2000年代生まれは」「令和生まれは」みたいなことを言う人が多い。「昔はこうだった」と聞いてもいない昔話を展開して年上たちが年下たちへマウントをとったり、勝手な固定概念・色眼鏡で年下たちを見る人がいますよね。

正直すごく古臭くて凝り固まっているなと思ってしまいます。そもそも他人がどうこう言っている時点で自分はそんなに他人に物言える優れた人間なのか?と問いたくなってしまいます。

他人のことをどうこういったり、過去に縛られている時点で今現在もしくは未来への生産性が低い行動をとってしまっているのではないでしょうか。

この記事では、ありがちな「最近の若いやつは」で持ち出されそうな例と今後言われそうなことを予想して、僕なりの意見を述べていきます。

起
「最近の若者は」はむか〜し昔から言われてきた

そもそも「最近の若者は」的なニュアンスの物言いはなんと、紀元前2000年頃に、現在のトルコにあった古代ヒッタイト王国の粘土板で作られた書簡に「最近の若者は」といった現状を嘆く言葉があったらしいです。その他古代ギリシア、哲学者として有名なプラトン(紀元前427347年)、紀元前3000年のエジプトでもそのような記述があったとか。

4000年以上前から「最近の若者は」みたいなこと言われていたのですね。人間としての本能で身体能力のある年下に負けまいと年上の人が奮起した言葉なのか、年上から見れば年下の知識や経験が少ないのは当たり前のことなので、こういう価値観が続いているのですかね。

僕から見て、もし現代でも「最近の若者は」みたいなこと言っているのだとしたら正直この価値観は古いと思います。4000年前の人が言っていたことを今まだ言っているのだとしたら進歩がないのではないでしょうか。

昔は年長者が知識や経験などの知恵があって頼りになったかもしれませんが、今やインターネットで意識があれば若くしてとてつもない知識量を得ることができます。むしろITが生活の不可欠になった現代を見ると若者が年配の人に教えることが多くなってきているのではないでしょうか。

承
「最近の若者は」マウントあるある

30代の僕がよくされるマウントとしては、「お前ら先生に殴られたことないだろ、俺達の若い頃は学校も部活も体罰が当たり前だった」みたいな件。

だから何?という話。まぁ遠回しに自分たちは過酷な時代を生きて強いが、お前たちは甘っちょろい、精神的に弱いと言いたいのだろう。

別に我々世代の意思ではなく、時代がそうなっただけえ、むしろ世界的に遅れていた部分が是正されただけに過ぎない。

過去を遡っていけば、「お前たちは戦争を知らない」や「お前たちは武士がいた時代を知らない」「戦国時代を知らない」というふうにマウントを取ろうと思えばいくらでも「最近の若いやつは」という話になるのではないだろうか。

現在本当によく聞くのは、「最近の若いやつは弱い」「最近の若いやつはすぐ辞める」「最近の若いやつは答えや結果だけ直ぐに欲しがる」みたいなことですね。

「最近の若いやつは弱い」というのも昔はヤンキーがいてどうのこうのという話や、体罰当たり前の話をして最終的には、過酷な思いをしていないから弱いという話に行き着く。

時代とともに変化するのは当然のこと

「最近の若いやつはすぐ辞める」も精神的に弱いみたいな話を持ち出すが、アメリカをはじめ海外では職を転々として実績を積んでいる方が評価される。日本は職を転々としていると長続きしないやつというレッテルを貼られるが、正直これは古いと思う。

「最近の若いやつは答えや結果だけ直ぐに欲しがる」というのも、インターネットの発達で勉強の課題などの答えがインターネット上もしくはSNSで友達からすぐに手に入るようにあって自分で考えなくなったという話。その通りかもしれないが、その分時間効率がよくなって他の豊かな時間を過ごせるようになったことは素晴らしいことではないかと思う。

時代の変化や社会の成熟の仕方によって世の中の流れは移り変わりしていくものなので、若者批判をする前に若者を理解することの方が生産的ではなかろうか。

転
「最近の若いやつは」と言い出したら思考が凝り固まっているサイン

僕が思うに「最近の若いやつは」という言葉を発したり、思い浮かぶようにっているとマズイと思う。結局そこには「こうあるべき」という固定概念や「こだわり」といった固執・執着によってバイアスが掛かって、新しい物事や様々な人々を寛容に受け入れることが難しくなるからです。

若い人が今後の世界を作っていくし、若い人が新しい文化やテクノロジーを生んでいきます。もちろんそこには先人の知識や文化という土台があっての進化の延長線です。

若い人を否定や批判をしてしまうことは、今の自分や先人たちの過去、そしてこれからの未来を批判・否定しているようなものです。世の中完璧な人なんていません。「最近の若いやつは」と言いつつ自分のことは棚に上げて若者の粗探しをするのは卑怯であり、非生産的です。

「最近の若者は」とは言わないまでも、口癖のように「若いのに真面目だね」みたいなことを言うのもNGです。「若いのに」には『若い人は真面目じゃない』と普段思っているバイアスを持った人間と周囲から認識されます。

「最近の若いやつは〇〇だ」だなんて言い始めること、言葉にしないまでもこのフレーズが思い浮かぶ人は要注意です。

凝り固まらない価値観

僕は何でもかんでも「こうだ」と決めつけ・押し付けする人の意見は参考にしません。よく考えもせず、浅い情報で決めつけてしまい、深く思考をしない。「俺の経験上〇〇だ」という人も参考にしません。

どれほどの大御所か知りませんが、対して社会的地位が高くない人に限って使いますよね。「俺に言わせれば」「俺の経験上・・・」知るかよ、どんだけ偉いんだよ。

有識者や著名人は「あくまで僕の意見ですが・・・」や「僕は〇〇だと思うけどあなたはどう?」みたいな言い方をします。あくまで「自分は」と前置きしつつ決めつけない余白を残した思考の仕方をした方が実は自分にとっても心の余裕を残すことができます。凝り固まることは注意です。

結
「最近の若者は」なんてもう言っていられない時代が来ている

いい加減「最近の若者は」とか「最近の若いやつは」とか言うのやめましょうよ。4000年前のネタを今頃こすってもダサいですよ。

若い世代は過去の土台の上で生きています。自分たちの世代や先人からの延長線上です。若者批判はかんたんに行うべき内容ではありません。

僕自身は若い世代に負けたくない気持ちはありますが、別に「最近の若者は」とは思いません。若い世代の批判や足を引っ張ることよりも、若い世代を理解することや、若い世代の人々だけでなく、文化やテクノロジーを取り入れたいと思っています。

今現在、高齢者の方がスマートフォンやインターネットのない生活を送っている人も居ます。若い世代からすれば不便だと思いませんか。でも一歩間違えると時代の流れについていけなくなり、使いこなせなくなる時が僕たちにも訪れるかもしれません。

若者をどうこう言う前に自分が時代に取り残されないように努力すべき

現代はテクノロジーの進化がただでさえ早いのに、その速度が加速しています。その進化についていくためには、どうすれば良いのか考えてみてください。

少なくとも「最近の若いやつは」なんてクダ巻いている暇はないと思います。必死に自己研鑽や多様性・新しいことを受け入れてこそ今後の時代についていくことができると僕は思います。

古い固定概念や執着なんて捨てましょう。若い世代の足を引っ張るのはやめましょう。とっくにそんな時代は終わっています。今インターネットで一昔前では一流の経営者に直接会いに行かなければ聞けないマインド系の話がブログやオンラインサロン、YouTubeで目にすることができます。

これからの時代を生き抜くことができるマインドが公開されている中で、未だに4000年前と同じ思考をしていて良いわけがないです。常に前を向き、他人がどうとかではなく自分はどうするのか、どうすれば生産的で未来に繋がっていくのか一緒に学んでいきましょう。|彡サッ

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