人は誰しも長所があれば短所があるもの。つまり完璧な人間なんていないです。さっそくですが、これがこの記事の結論です。

発達障害などで悩む人、カミングアウトする人がいますが、僕は何かが足りない人には別の部分が優れていると考えます。

人それぞれ良し悪しがあって、それこそが個性であり、多様性なのではないでしょうか。

 

起
発達障害と言われる範囲が広い

僕がまず驚いたことは、発達障害と言われる範囲の広さです。

発達障害は、自閉症・ADHD・学習障害の総称です。それぞれの症状を記述していきますが、結構当てはまる人が多いのではないかと思います。

【自閉症】

社会的コミュニケーションや対人の意思疎通が難しい

【ADHD】

不注意(活動に集中できない・気が散りやすい・物をなくしやすい・順序だてて活動に取り組めないなど)」と「多動衝動性(じっとしていられない・静かに遊べない・待つことが苦手で他人の邪魔をしてしまう」

【学習障害】

全般的な知的発達に遅れがないものの、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」能力に困難が生じる

 

結構発達障害の範囲が広いように思えませんか。人とのコミュニケーションが苦手な場合や、活動に集中できなかったり、勉強ができなかったりすると、もう発達障害という言葉がよぎる訳です。

逆に考えてみると発達障害ではないと言い切る方が難しいのではないかとさえ思えてきます。「自分は発達障害がない」と胸を張って言い切れる人はいますか。

 

承
むしろ発達障害に当てはまらない方が難しい

自分のことを完全に発達障害(特に自閉症)と思っているオジサンの僕が当てはまっている部分を述べていきます。

程度による部分があるかと思いますが、僕は過去に全て当てはまっていたと思います。自閉症に関してはまさに現在進行中でコミュ障であり、意思疎通や大勢の集まりが苦痛で仕方ありません。

ADHDに関してはあまり、当てはまらないように思えますが、小学生の時に予定や連絡的なものを全然把握しておらず、同級生のみんなは用意しているのに自分だけ用意していないということが多かった様に思うので少し当てはまるかも。

学習障害に関しても、普通に学校の授業を受けているだけでは全然ダメでさっぱりでした。学習塾に通って勉強のコツを掴んでからは自習できるようになりましたが、それがなかったら大変なことになっていたと思います。

人それぞれ何かしら、対人関係や注意不足、勉強で失敗があるものです。特に僕は発達障害持ちの完璧主義者というタチの悪いタイプで、自分のできることよりもできないことの方が目についてしまい自分で自分の自信を失くしているところがあります。

今まで何も気にしていなかったとしても、発達障害の種類や内容を目にすると、実は自分も当てはまる部分が見つかります。ちょっと人よりも照れ屋やあがり症だったらすぐに発達障害と決めるいうことはないでしょう。

人前で話をするのが苦手な人なんてたくさんいます。物凄く他人に対して気を使ってしまい人見知りをしてしまう人もいます。発達障害という部分ではなくてHSP(繊細さん)だったりするわけです。

発達障害と混同されやすいものもあるので、そもそもの判断が難しいですよね。

 

転
発達障害に悩む必要はない!

正直僕は生きづらさを感じています。それが悩みで何度も自分を変えようとしたけど、やはり人と接するとボロしか出ずに自身を失くす負のスパイラルへ。

「どうして自分はこうなんだろー」って思うことがあります。そんな僕でも結婚できて子供も授かったのは奇跡だと思っています。いや、むしろ発達障害の僕だから今の幸せに辿り着くことができたのか・・・。

大なり小なり人は発達障害を持っているのではないかというのが僕の極論です。人には向き不向き、得意不得意があります。それと同じじゃないのかなと思いますね。だからそんなに悩む必要はありません。

発達障害という言葉や枠におさまるものではありません。それは良くも悪くも個性です。社会に生きづらさを感じて自分に自信を失くしていくよりも、自分が快適な空間で気心のしれた人と一緒に幸せな時間を過ごすのが大切ではないかと思いますね。

自分の幸せを増幅させる方法を追求していけば良いです。無理してコミュ力を高めようとか、人脈を広げようとか、そんなのはしなくて良いです。

言い方が悪いですが、群れるのが好きな者同士で集まれば良いですし、別に群れなくても支障ない人は群れる必要もありません。コミュ力なんて群れる為のツールです。

 

結
完璧な人なんて居ない

アクセルベタ踏みで持論を展開したこの記事ですが、極論、完璧な人なんていないんですよ。

容姿端麗でコミュ力も高くて、勉強もできて、気配りできる、そんな人がいるかも知れませんが、その人はその人で自分に何か足りないものを感じているはずです。コンプレックスなんて誰にでもあるものですからね。

東大生という頭の良い人々でも逆にそこまで頭が良くなると、勉強に打ち込みすぎるあまり自閉症の気質があるのではないかと言われているほどです。

人はいつの時代も無いものねだりなのかもしれませんね。特に日本は同調圧力が強すぎて、できないこと・周りと違うことを強く糾弾する部分があります。

礼儀や作法などは素晴らしいものかもしれませんが、型にはまらず人目を気にせず自由に生活を送るのも幸せではないでしょうか。

常に自分は他人から見ておかしくないか、周りから浮いていないか、なんてことを気にしている方が生きづらさを感じているように思えますね。

必死に周囲から良く見られたいと立ち回り、周囲からも尊敬される存在であるかもしれませんが、自分を押し潰して居る以上は無理がかかりますし、周囲の期待値が上がるということは、それだけ求められるハードルも高くなることを指しています。

誰にだって苦労があり、どんなに人生がうまくいっているように見える人でも苦悩や葛藤があるということです。

最後にもう一度、結論を言うと、発達障害なんて気にしなくて良いです。それは個性であり、直そうと悩む必要もありません。どんなにうまくいっているように見える人でもそれなりに悩みがあるものです。

結局悩んでも仕方がないので、悩むことなんてやめて自分がありのままで気心の知れた人と心の負担なく幸せに過ごす時間を増やしていけば良いのでないかと思いますね。それでは|彡サッ

--PR--