至極当たり前なタイトルにしましたが、みなさんは“今”頑張っていますか。やらなければいけないことから逃げたり、責任から逃げたり、面倒なことから逃げていないか。
自分のことを棚にあげて他人に無理を強いたり、損な役回りを押し付けていないか。
自分の要求ばかり押し通して、他人の意見を聞かないようなことをしていないか。自分は自分のままで良いと思っていないか。
そんなことをしていたら、今後・将来、何も自分にスキルが身につかずに自分自身が大変な思いをしていくだろうなと自戒を込めて書き綴る。
今ビジネスで頑張っていない人は今後大変だろうなと思うこと
最近思うことは、右から左の仕事(単なる流れ作業)をしている人が多いなと思うこと。そしてそんな仕事は今後なくなっていくだろうし、そんな仕事の仕方をしていた人も必要とされなくなるだろうなと思っています。
他人から言われたまま、また他人へ伝言するだけの人。質問をしても「いや私じゃないので」「(他人の名前)が対応します」と言い逃れする。それではなぜあなたは存在するのかという人が多い。
言ってしまえば、こんな子供のお使いの様な楽な仕事の仕方をしているとスキルも身につかないし、自己解決力もつかない。運良くその会社に入れたのは「おめでとう」だけど、全然貢献していないのでは存在意義がない。自分はそれで良いのだろうか。それは自分で気づくはず。それに気づかずにいるのであれば更に重症だ。
誰かに言われて、自分の創意工夫もなく、何かをやる。そんなことに何の価値があるのだろうか。それこそロボットにやってもらった方が余程正確だと思う。
「催促していますが、返事がありません」「〇〇で〇〇できません」と他人が原因のような言い訳をして言い逃れする様を見るわけではなく、「あなたはどう努力したの」というところだ。事前連絡でもなく事後で言い訳メールを送られてきてもそれを読むのは時間の無駄だ。
自分は頑張らずに他人に頑張らせようとする人は将来生きづらい
「至急お願いします」「急ぎお願いします」「もっと〇〇してください」こんな他人に対して要求ばかりするのは能力のない者がやること。こんな依頼する前に手を打つのが仕事ではないだろうか。
自分が他人のせいにして放っておいたことで、遅れが出て、また他人に遅れを取り戻してもらおうとする。そんな仕事の仕方をして何を頑張ったのだろうか。
自分自身何も変わらず他人任せをして他人に頑張ってもらうしかない仕事をしていて、今後自分のスキルは磨かれていくのだろうか。絶対ムリだと思う。で、たぶんこの人は今後生きづらくなるだろうなと思う。
ビジネスでの頑張りというのは会社の仕事だけではない
会社の仕事だけの話ではない。例えば、家にいる時間もそうだ。親に言われて学校の宿題をする。親に言われて家事を手伝う。誰かに指摘されないと動けない。“指示待ち人間”は会社でも役に立たない。
ビジネスというのは、他人の要望をいかに早く満たせるかが重要だと思う。普段の生活からあれこれ言われないと出来ない人間は自分のことはおろか、他人のことまで考えることができないだろう。
より主体的に何かを生み出す姿勢が重要だ。「ゴミが落ちているから拾った方が良いな」という自発的な行動、「母親が仕事で疲れているから今日は自分が家事をやろう」という優しさを生み出すことが重要だと思う。上記は正直当然なことなのだが、これすら気が回らない人間が多い。
自発的に行動しているか
誰かの感動を生みたいと絵を書くのも良いし、ブログや音声・動画配信などのクリエイティブなことでも良い。自分を磨く姿勢が重要だと思う。
上記のことを実践していくには、自分の考えをアップデートさせることも重要だ。宗教的・道徳的・合理的・資本的なんでも良い。正しい知識と価値観を身に着けるために権威がある音声や動画を配信しているインフルエンサーをフォローしても良いだろう。メルマガを購読するのも良いだろう。
自分でスキルを磨き、存在意義を高めていく行動、そのための勉強、それらを怠って、ただ他人に押し付けて逃げて、自分は好きなこと、楽なところに居て思考停止していては、その他の努力・勉強している人にあっというまに追い越され、差がひらいて行く。
過去の自分よりも進歩しているか
他人と比較するような表現をしたが、要は過去の自分よりもスキルが向上することが重要だ。他人と比較するとどの分野にもスーパースターが居て、自分の無力さを知る。情報が発達した社会の弊害だ。
おすすめなのは、ガラパゴス的に過去の自分よりも確実に進化していくことだ。スキルの向上などは他人と比較する必要はない。「昨日の自分よりも今日は進歩した」という意識が重要だ。
停滞している人には哀れな視線で無視をする
サボっている人、セコい人、他人にばかり要求する人、無責任な人、気配りできない人、こうした人々は、今後必ず人生で苦労するので、見かけた場合は腹を立てずに哀れな目でスルーするのが良い。そういう価値観に僕は達してしまった。
過去にはそれとなく、遠回しに指摘をしてきたが、逆上されるのがオチだった。指摘しても改善はおろか、根に持たれる調子で自分の非を認めない。
お得意の「至急」「至急」と能力がない人が使う常套句ばかりで、こちらの意見は聞こうとしない。都合が悪くなると逃げる。関わるメリットがないので、スルーすることにした。
同時にそんな人の将来を案じるようにもなった。この人はたまたま今良い所に滑り込んだけど、今後このまま歳をとって大丈夫なのだろうかと。
結構こういう人が多いのかもしれないと思い始めた。年功序列で何となく年収も役職も上がった人。でも自分では何もできずに部下に実務をさせて最後にやった顔でポーズを決める団塊世代が多いのではないだろうか。
実践やスキルを磨いてきたことは端々に現れる
見ていると誤字脱字のオンパレードで内容のよくわからないメールを書く人を散見する。メールを送信して電話するオジサンも多い(メールだけでよくね?)
抽象的な内容で、「何を・いつまで・いくつ」と具体的な依頼がすっぽり抜け落ちていて、いちいち質問を投げ返さないと仕事が前に進まないことも多い。
パソコンが普及してビジネスシーンでもかなり定着していると思うが、国や地域・業種にもよるが、まともにメールを作れないのは余程今まで仕事を怠ってきたか、自分のスキルを磨くのを怠ってきたかを物語る。それは相手にも如実に伝わる。
メールひとつとっても相手に伝わりやすい文章を追求する心構えがあれば、1年もあればまともなメールができるはずだ。
頑張っていない人は淘汰され、敗者復活戦もない
辛口記事になりましたが、ビジネスでも勉強でもクリエイティブでも頑張っていない人は、今のポジションから上はないということ。せいぜい今の地位をギリギリ守れるかどうかということ。
配慮の無さ、不勉強、無責任、これは年齢が上がれば上がるほど露呈すること。スキルに関しても勉強してきたこと、自己責任・自己解決をどれだけしてきたか、それは接していれば相手に伝わってしまう。
反対にこうした自己成長や相手への配慮が欠けた仕事をしている人がいるから、まともな人が仕事で重宝されるということにもなる。気になるのは横暴な要求・無責任な仕事をしている同僚を見ても何も注意しないその他大勢にも問題がある。
頑張っていない人を引き上げるのは時間の無駄
現在はコスパ(費用対効果)よりもタイパ(時間対効果)が加速している。インターネットの普及で、情報が手に入り、安くて良いものも当たり前に手に入るようになった。
安くて良いものが身の回りで溢れた現代に求められるのがタイパ(時間対効果)だ。他人の教育には時間が掛かる。特に歳がいった人であれば尚更。
そんな現代に自分で努力もしていない人を立ち直らせようとするのはタイパが悪すぎる。他人の行動に注意・指摘をする人が減っていくだろう。他人という不確定な存在を変えるために時間を使うくらいなら、自分に投資した方がタイパが良いからだ。恐らく頑張っていない人はそのまま淘汰されて、敗者復活戦もなく退場することになるだろう。