自分を戒める記事を投稿してみたいと思います。あなたにではなく自分にあてた記事です。でも誰しも当てはまるエッセンスが含まれていますので、あなたの人生の参考にもしてみてください。僕を利用して踏み台にしてくださいね。
人は何か結果を出した時に、まるで自分だけの力で成し遂げたと勘違いをしたがります。もちろん自分の努力も多分にあるかもしれませんが、経緯や自分の思考や人格を形成する部分は実は周囲の人々との人間関係や助けによるものであることが多いです。
そうした気付きや考えを書き綴っていますので、覚悟して最後までご読了ください。
本当にそれは自分で成し遂げたことだろうか?
人は都合の良い生き物なのかもしれません。成果を挙げれば、自分の努力。失敗や不都合があれば誰かの責任。みなさんもそんな考えしたことはありませんか。
「学校のテストで良い点数・良い成績だったのは自分が頑張ったから」「自分が細かい雑用や実務をして成果を出したのに上司に手柄を横取りされた」そんなことがあるかもしれません。
1つ目の例の学校のテストで良い点数・成績が取れたのは確かに実行者の自分のおかげではあるかもしれませんが、塾に行かせて貰ったり、勉強に集中できるように家事をやってくれた家族の存在、同級生間でイジメがなかったりしているのです。
2つ目の例の上司成果の横取りに関しても、そもそもその上司がいること、その看板で仕事が得られ信用を得ている場合が多いです。実務者である自分もその上司に活躍の場を与えられて協力したに過ぎません。そしてその上司が成し遂げたと周囲が認めているということは、そういうことです。みんなが細かい雑務や実務をした人が他にいると思っていてもやはりその上司のおかげで成立したと認識されているのです。
あくまで自分視点で世界や状況を見てしまいがちですが、自分がやったことばかりに目を向けるのではなく、自分の今があるのは誰のおかげなのか、突き詰めてみると自分には案外多くの人が自分の存在を支えられていることに気が付きます。
自分という存在の思考や人格はどの様に形成され現在に至るのか、それには必ず「誰か」しらの影響があり、そして自分の今があるのはその人々のおかげであることを知るでしょう。
自分で成し遂げたつもりでもそれは誰かのおかげでもある
世間で言う成功者に「成功の秘訣は?」と質問をすると、割と多く「運が良かった」「タイミングが良かった」「周囲(環境)に恵まれた」という返答があります。
「自分があの時こういう判断をして〜」みたいな自分の実力をゴリゴリに押し出して自慢話する人は少数だと思います。
おそらくこの【運・タイミング・環境】これはキーワードです。
一旦僕の話をします。僕の人生を振り返ってみます。
僕はごく普通の両親が共働きの家庭で生まれ育ちました。日本という世界的に恵まれた国なので、ごく普通と言えど食べるものには困らなかったし、部活動も不自由なくさせてもらって、ゲームも買って貰えました。塾にも行かせて貰えました。今は生活に困らないサラリーマンです。友達も少なく割と孤独な人生でしたが、結婚もできました。
僕という存在は両親のおかげで生まれ、着るもの食べるものにも困らずに大人になれたことは世界的にもとても恵まれていることです。学費も親が当然のように払ってくれました。割と孤独な僕でしたが、学校でも会社でも自分に悪意を向ける人はおらず、途中で行かなくなることもありませんでした。孤独でコミュ障な僕でも天の恵みか結婚ができました。その妻はどうしようもない僕のことをとても理解してくれています。彼女が家事をしてくれ、また僕をサポートしてくれるおかげで生活に充実感と挑戦するモチベーションが生まれました。この記事・このブログ自体も彼女がいるおかげで継続できています。
あの日あの時あの場所で君に会えなかったら
自分が生まれた時点で両親のおかげであり、今があるのは今まで出会ってきた人々が良い意味でも悪い意味でもあなたに影響を与え、思考や人格を形成させてきた【おかげ】なのです。先述した【運・タイミング・環境】というのは、その時・その場所で偶然に出会う誰かのことなのかもしれません。
この記事を読んでいる方は非常に勉強熱心で恐らく今後も飛躍する方で間違いないと思います。そんなあなたも多くの情報発信者から有益な情報に触れて思考がアップデートされてこの記事に行き着いているはずです。
今の自分に満足していないことを周りのせいにしていないか?
「今の自分があるのは誰かのおかげ」という割とポジティブな視点で話をしてきましたが、いやいや「今の自分になってしまったのは誰かのせい」というネガティブな考えもあるかと思います。
昔の自分もありました。すみません、つい最近までこんな思考が僕にもありました。
また僕の屈折した話をします。僕は2560グラムでこの世に生を受けました。低出生体重児のギリギリのラインです。へその緒がぐるぐるに巻き付き成長が難しい状況だったそうです。生まれてから少し体重は落ちるので、保育器に入っていたそうです。生まれた時に僕はハンデがある人間だったのです。「どうして、もっと大きく生んでくれなかったのか」そんな思いがありました。
学生の時は野球に熱中しましたが、ある時に自分の限界を感じます。僕は学年で1, 2を争うほどの低身長だったのです。体が小さく伸び悩みました。「ダルビッシュ有や大谷翔平のような恵まれた体格があれば」と思いました。
その後も悩みました。「両親がもっと知育に熱心になってほしかった」「英才教育をして欲しかった」「両親が世間知らず」「どうして我が家はお金持ちじゃないのか」「社長の家に生まれたかった」など無いものねだりばかりしていました。
すべてが今の自分を形成している良い要素
今では低出生体重児でも無事に五体満足で生まれてきて良かった。母親に心配をかけてしまった。野球を早々に見切りをつけたからこそ今がある。スター選手は体格だけでなくメンタル面も備わっていないと難しい。今自分が大人になるまで無事に過ごせて来たことが尊い。
今の自分は尊くそしてとても有り難い状況にある、そして幸せな存在であることに気付かされます。そしてそんな自分という存在を周囲の人が受け入れてくれたから今の自分があると思えるようになれました。
今の自分の存在・思考はみんなのおかげであり、これからも謙虚に生きていく
自分がいかに周囲の人々に生かされ、受け入れてもらって今があるのかという自戒を込めた内容を書き綴りました。
「自分には利害関係者(ステークホルダー)はいない」と豪語する人がいます。実際僕も人間関係自体がほぼ無いので、僕もそんな風に考えていました。でも今住んでいる国や地位域ひとつとっても受け入れてもらっているから成立しているのですよね。
自分が住んでいる家も誰かから譲ってもらったり、建築業者が作ってくれたらかあるわけで、その住宅て使える電気や水道も各業者がメンテナンスをしているから使用できています。自分が使っているスマートフォンがiPhoneならAppleという会社が毎年のようにクールな商品を提供してくれている。そのスマートフォンの電波も通信業者があるから成立しています。
傲慢よりも謙虚の方が伸び代が段違いに大きい
すべて「自分がお金を払っているから当然」と考えるのか、「すべて誰かしらの助け・おかげで成り立っている」と考えるのか、人それぞれですが、僕は後者の誰かしらのおかげで自分の生活・人生・人格・思考が成立していると思います。
他力本願ではなく、あくまで謙虚にそして他人を尊敬していれば自ずと他人から学ぶ姿勢になるということです。他人から何かしらを学ぼうという謙虚な姿勢は結果的に自分に多くの知識と学びを呼び寄せることになります。
自分の成功体験に固執し、他人の意見を聞こうとしない、周囲の人に「あの人に言っても話を聞かない」と思われている人というのは裸の王様になってしまいます。古い成功体験や古い思考・古い常識を引きずることで老害になってしまいますので、注意しなければなりません。
失敗や不都合などは他人のせいにせずに自分の責任、成功は自分の手柄ではなく周囲のおかげという考えを持ち続けて、周囲への感謝と尊敬を忘れないように自戒の記事を締めくくりたいと思います。最後までご読了ありがとうございます。それでは、また|彡サッ